身体感覚の共有(規制緩和の道のり第15話)

2017年07月08日

 前回、「身体の拡張」がセグウェイスマイルの秘密のひとつであることについて書きました。

実は、この身体の拡張は、いっしょにツアーに参加するみんなのあいだでも起こります。身体感覚の共有といったほうがいいかもしれません。

 

 セグウェイツアーでは、インストラクターを先頭に複数人が一本の列になって動きます。何かの群れのようです。みんなが同じような身体の使い方をします。そうすると、身体の拡張は他者にも及びます。みんなが一本のひもでつながっているかのように、他者の動きまでもが自分の身体の一部であるかのようになってくるのです。もしくは自分の身体が他者の一部になるといってもいいかもしれません。

 初めての坂道をセグウェイで一人でのぼろうとすると、多分、大抵の人はうまくいきません。けれどもインスラクターを先頭に複数人でやると、不思議と誰でもはじめての坂道をのぼれてしまうのです。

 一本の列になってひもでつながっているかのように、一生懸命に前の人についていこうとします。前の人のしぐさをみて、同じように身体を動かそうとします。そうすると、のぼれてしまうわけなのですが、このとき、身体が拡張し、前の人と動きが同調しています。みんながひとつの大きな身体のように動いているといってもいいかもしれません。

 ひとりだとむつかしいことがみんなでやるとできてしまう、身体が拡張し、共同的に動くという体験です。

 自分と他者との境界線がいつもと違う。ここまでが自分、ここからが他者という普段のペリパーソナルスペースが崩れ、みんなを包み込むほどシャボン玉が大きくなります。身体の動きや五感で感じることが普段と変わってきます。他人に聞こえていることや他人の身体が感じていることまでもが自分のほうへはいってくる感じとでもいいましょうか、ミックスされることで、普段といろいろなものの感じ方が変わってくるのです。

 

 こういう経験はチームスポーツや武道などでもみられることです。味方の動きが見えていなくても、どこにいるのか感じられて、パスがつながりゴールに結びつくとか、相手の動きが自分の身体の一部のように感じられ、次の動きが読めてしまうとか、ダブルスで阿吽の呼吸になってひとりではできないような身体の動きができてしまうとか、身体には共同で動かすことで、普段よりもパフォーマンスを発揮させる何かがあるのだと思います。

 

 そして、そのような身体的な同調は意外と気持ちがよいものです。ひとりで何かをするよりもみんなで何かを成し遂げたときのほうが喜びは大きいものです。

 古来より人は集団で生きてきました。自分という字は自己の「自」と全体の一部分の「分」で自分です。ひとりでは成しえないことを集団で行い、生きてきました。
 集団で生きるための智恵が身体にはしみついているのかもしれません。

  セグウェイツアーは、インストラクターを先頭に群れのように動くことで、そうした感覚を無意識的に思い起こさせてくれる気がします。

続く